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稲田家ゆかり、徳島・脇町の貞真寺 焼失の本堂を再建|徳島ニュース|徳島新聞デジタル
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稲田家ゆかり、徳島・脇町の貞真寺 焼失の本堂を再建|徳島ニュース|徳島新聞デジタル
徳島藩筆頭家老で、脇城代を務めた稲田植元(たねもと)(1545~1628年)らの墓がある美馬市脇... 徳島藩筆頭家老で、脇城代を務めた稲田植元(たねもと)(1545~1628年)らの墓がある美馬市脇町脇の貞真(ていしん)寺の本堂が、60年ぶりに再建された。火災で焼失し、事実上の廃寺となっていたが、有志でつくる「復興の会」が住民らから寄付を募り、5年がかりで完成させた。発起人の矢野通玄(つうげん)兼務住職(64)は「地域の人たちと稲田家の縁をつなぐ寺にしたい」と話している。 本堂は木造平屋約30平方メートルで、市有形文化財の山門の北側に建設した。僧10人程度が法要を営むことができる広さを確保し、鬼瓦と本堂正面には、稲田家の家紋「矢筈(やはず)」を刻んだ。18日に落慶法要があり、支援者ら約70人が再建を祝った。 貞真寺は文禄4(1595)年、稲田植元が母・貞真尼を弔うため建立した。植元は1631年に洲本城代となり、脇町を離れたが、寺の隣の墓所には植元や妻、父貞祐(さだすけ)ら2代6人が眠ってい