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今世紀の初め頃、学部生だった私は、「日本人」論や「日本文化」論は、そう遠くはないうちに、消滅する... 今世紀の初め頃、学部生だった私は、「日本人」論や「日本文化」論は、そう遠くはないうちに、消滅するものだと思っていた。当時、大学の様々な授業では、国民国家の枠組を前提とする議論は批判されており、また本質主義的な文化論の危うさも盛んに説かれていたからである。地域性・時代性を考慮せずに、「日本人」「日本文化」を一括りにして論じてはならないことは常識となりつつあった。 現在、このような認識は学問の世界では定着しているように見える。しかし今でも、SNSなどを覗いてみると、学術論文を多数発表している研究者でさえ、「日本人」「日本文化」について、素朴かつ粗雑な印象論を述べているのを目にする。中には「欧米では~」(「中国では~」) といった一層大雑把な比較対象を、確たる根拠もなく持ち出して、「日本人」「日本文化」の欠点をあげつらうものもある。 日本 / 欧米 (中国) といった古式ゆかしい対立図式の健在ぶ