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活躍する女子東大生たち
東大の門戸が女性に開かれたとはいえ、初期の女性にとってキャンパスライフはなまやさしいものではなく... 東大の門戸が女性に開かれたとはいえ、初期の女性にとってキャンパスライフはなまやさしいものではなく、例えば「教室のドアを開けたとたん、目に写ったのは真っ黒なかたまり。詰襟の男子学生が一斉に振りむいたときは、一瞬たじろぎました」といった状況であったようです。しかし、やわな女子学生たちではなかったのです。 1951(昭和26)年当時の矢内原忠雄教養学部長のもとに、便箋9枚に及ぶ分厚い手紙が届きました。影山裕子さん(54年経済卒)が加藤富子さん(54年法学卒)と相談し、地方から上京した決して裕福でない女子学生たちが単身東京で勉学を続けることの困難さを訴え、女子専用の学生寮の建設を望んだ直訴状でした。この手紙が矢内原教養学部長と南原繁総長の心を動かし、2年後の53年9月港区白金三光町に「白金寮」が開設されました。最初の入寮者は14名でした。その後女子学生の増加に伴い、66年に92名定員の新寮ができま