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ユーラシア東方の多極共存時代 « 名古屋大学出版会
内 容 遊牧王朝と中国王朝、なぜ数百年間も併存できたのか ——。モンゴル帝国による統合以前のユーラシア... 内 容 遊牧王朝と中国王朝、なぜ数百年間も併存できたのか ——。モンゴル帝国による統合以前のユーラシア東方では、複数の国家が並び立っていた。契丹(遼)と北宋の盟約による「澶淵体制」、さらには金(女真)の時代の国際関係に焦点を当て、考古資料も活用しつつ、外交・儀礼・信仰から歴史編纂まで東洋史・中国史像を刷新する。 目 次 序 章 ユーラシア東方の多極共存時代とは何か —— 問題の所在 1 ユーラシア東方史とは何か 2 研究史の概観 —— 多極化時代のユーラシア東方における王朝間関係を中心に 3 本書のねらいと構成 第Ⅰ部 10~13世紀のユーラシア東方における王朝間関係 第1章 契丹・北宋間の澶淵体制と国境 はじめに 1 澶淵体制とは何か —— 11世紀ユーラシア東方の国際情勢 2 契丹・宋間の国境の形態 3 越境する人びと —— 国境管理の原則と越境の実態 おわりに 第2章 契丹・北宋間に