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キム・ジヨンがくれたもの|ちくま文庫|吉川 トリコ|webちくま
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キム・ジヨンがくれたもの|ちくま文庫|吉川 トリコ|webちくま
『82年生まれ、キム・ジヨン』を読むと、自分の半生だけでなく、家族の今までの人生をも思い起こさせら... 『82年生まれ、キム・ジヨン』を読むと、自分の半生だけでなく、家族の今までの人生をも思い起こさせられます。そして、「キム・ジヨン以前」と「以後」とは? 祖母の名は順子。「従順であれ」という願いが込められたこの名前は、二十世紀半ばの朝鮮でも多くみられたそうだ。忠清南道で生まれた順子は、祖父とともに日本に渡り、五人の子どもを産み育てた。早くに祖父が亡くなり、再婚した相手は酒びたりの暴力夫で、妻子を捨てて出奔した。その後、順子は祭祀(法事の類)をいっさい放棄した。 母の名は玉子。「玉のような子」と順子が名付けた。娘二人を連れて婚家を飛び出し、再婚した玉子は、夫とともに事業を起こし、三人目の娘を産み育てた。玉子には才覚があった。事業の成功はほとんど玉子の手腕によるものといってよかった。もし玉子が家のことを夫にまかせ、事業に専念していたらいまごろ尾張小牧にビルが建っていただろう。 「思い通りになるの