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「暇」を楽しんでこそ自分が磨かれる [國分功一郎] | ISSUES | WORKSIGHT
僕は『暇と退屈の倫理学』という著書の中で、暇と退屈の関係性、仕事や余暇を含めた時間の使い方につい... 僕は『暇と退屈の倫理学』という著書の中で、暇と退屈の関係性、仕事や余暇を含めた時間の使い方について考えを巡らせています。 「暇」と「退屈」は同一視されがちですが、暇は何もすることのない、する必要のない時間であるのに対して、退屈は何かをしたいのにできないという感情や気分を指します。いわば前者は“客観的な条件”に関わるもので、後者は“主観的な状態”であるわけで、全く別物なんですね。 「暇ではないが退屈」という感覚が日本に蔓延している 両者を掛け合わせて考えると、「暇で退屈だ」ということは時間を持て余すような状態であり、「暇がなくて退屈もしていない」ということは何かに熱心に取り組んでいるような状態であると分かります。「暇があるけれども退屈していない」というのは、労働する必要のない有閑階級の時間の使い方といえるでしょう。 では、「暇はないけれども退屈だ」という状態はどうか。一見謎めいているけれども
2017/07/06 リンク