エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
サーロー節子さん 死者に代わって言い続ける | NHK | WEB特集
「広島まで来てこれだけしか書けないのかと思うと、胸がつぶれるような思いがしました。広島の意味を理... 「広島まで来てこれだけしか書けないのかと思うと、胸がつぶれるような思いがしました。広島の意味を理解してほしい」 半世紀以上にわたり世界各国で被爆体験を語り続けてきた被爆者、サーロー節子さんは怒っていた。 5月の広島サミットで出された「広島ビジョン」には、「核兵器の非人道性」や「核兵器禁止条約」への言及がなかった。 「死者に代わって言い続ける」 怒りの背景には、あまりの出来事に涙さえ出なくなったあの日に誓った思いがあった。 (社会部記者 富田良) 1945年8月6日。 13歳、中学1年生だったサーロー節子さんがいた広島の街の上空で原爆がさく裂した。 爆心地から1.8キロの場所で、倒壊した建物の下敷きになった。 「諦めるな!光が見えるだろう?そこに向かってはって行け」 体を動かせない暗闇の中で聞いた声と差し込んできた光を信じ、逃げ出して生き延びることができたが、姉や4歳のおいなど、親族8人を亡
2023/08/01 リンク