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飛鳥時代の斎宮か発掘成果を報告|NHK 東海のニュース
三重県明和町にある国の史跡、「斎宮跡」で初めて見つかった飛鳥時代の宮殿の遺構について、16日、報告... 三重県明和町にある国の史跡、「斎宮跡」で初めて見つかった飛鳥時代の宮殿の遺構について、16日、報告会が行われました。 斎宮跡は飛鳥から南北朝までの時代にかけ伊勢神宮に仕えた皇族の女性、「斎王」の生活していた場所で平安時代に最も栄えたとされています。 三重県が去年、斎宮跡の西側で行った発掘調査で新たに飛鳥時代のものとみられる等間隔に並んだ柱の穴が見つかり飛鳥時代の斎宮の中心部が初めて、特定されたということで16日は現地で報告会が行われました。 報告会には近くの住民などおよそ100人が参加し、調査に携わった斎宮歴史博物館の職員から穴の様子から飛鳥時代の宮殿は、東西は41メートル、南北は55メートル以上あったと推定できることや当時の斎王は天武天皇の娘の大来皇女だった可能性が高い、といった報告を聞いていました。 参加した地元の70歳の女性は「飛鳥時代の様子が少しずつ分かってきて、とても興味深いです
2019/03/18 リンク