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幼かったころ、不思議でしょうがなかったことがあります。 「私が見えない」ということ。 自分で自分を... 幼かったころ、不思議でしょうがなかったことがあります。 「私が見えない」ということ。 自分で自分を見ようと思えば、鏡を使ってみることができるけど、鏡がなければ、自分って見ることができない。 自分が見えない不思議 例えば、自分の目から確認できるものは、手足、胴体くらいは確認できる。最後に見えるものは自分の鼻先くらい。そこから上ってどう頑張っても見えない。 その後に必ずやってくる不思議が「え、これ見てるの誰?!私は誰?!」という変な感覚。 それがずっと不思議で、なんとか自分で自分を見たくて逆さになってみたり、超早く目を動かしてみる、みたいなバカなことをやっていたのですが。 どうやっても見えません。 そんなことすっかり忘れて大人になってしまいました。見えない自分を探すよりもやらなきゃならないことがたくさんありましたから。 逆さになったり、目を動かしたりしている暇はなくなったんです。 ですが、実は