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人生論的映画評論
<投げ入れる女、引き受けない男> 序 成瀬巳喜男との、偶然性の濃度の稀薄な邂逅が開かれて 映画を... <投げ入れる女、引き受けない男> 序 成瀬巳喜男との、偶然性の濃度の稀薄な邂逅が開かれて 映画を観に行くことが最大の娯楽であった時期が、私にもあった。 その経験は青少年期の記憶の内に深々と灼きついていて、そこで得た様々に刺激的な情報は、今でも私を新鮮にしてくれる何ものかになっている。 私の映画三昧の生活は、脳内のアドレナリンを分泌させた、あの東京オリンピックをリアルタイムで観た1960年代半ばに始まった。高校時代だった。 それまでも、祖父が地元の場末の映画館で清掃夫の仕事をしていた関係で、小さい頃から私は子供が普通に熱狂する類の娯楽映画に親しんでいた。 その中心は、何と言っても東映時代劇。中村錦之助、大川橋蔵といった花形スターがスクリーン狭しと暴れまわる格好良さに、殆ど釘付けの状態だった。 映画と言えば、ハッピーエンドの娯楽劇しか知らない私の内側に、風穴を開けるような衝撃が走った。 二本