エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント2件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【本郷和人の日本史ナナメ読み】(26)戦国の「取次」は重要ポスト+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
豊臣秀吉による天下統一より以前、日本は「都」ともいわれる地域、具体的には畿内・中部・中国・四国地... 豊臣秀吉による天下統一より以前、日本は「都」ともいわれる地域、具体的には畿内・中部・中国・四国地方と、「鄙(ひな)」ともいわれる地域、東北・関東・九州地方とに分けて考えることができる。これが前々回までのお話でした。 そこで便宜的に、前者を日本A、後者を日本Bと呼びました。それから、権力体(1)と権力体(2)とが交渉するときに、「申次(もうしつぎ)」と呼ばれる存在が仲立ちに立つ。たとえば鎌倉時代の朝廷と幕府でしたら、おおよそは上級貴族の西園寺家が両者を「申し次ぐ」。これが前回のお話です。 室町時代、幕府は全国の守護大名の話し合いによって政治を行っていた、といわれます。これは実は、正確ではありません。日本Aの大名(読みは、だいみょう、ではなく、だいめい、が正しいらしい。大明という当て字の使用例があるので)には在京が義務づけられ、その代わり、幕政に関与する権利が与えられた。日本Bの大名は在京しな
2012/05/20 リンク