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隅田金属日誌(墨田金属日誌) 殷は温暖化で滅んだ
殷周革命には温暖化の影響があったのではないか。殷のⅢ-Ⅳ期は気候変動で旱魃傾向にあった。その影響も... 殷周革命には温暖化の影響があったのではないか。殷のⅢ-Ⅳ期は気候変動で旱魃傾向にあった。その影響もあって殷は滅んだのではないか。 『華夏考古』にそれを示唆する記事がでている。楊謙さんと詹森楊さんの「商代晩期気候変遷与祝井儀式発生」である。* これがなかなか面白い。 殷の時代において中原は総じて暖湿の環境にあった。 今よりも年平均気温で2度、1月平均気温では3-5度も高い。だから南方の獏や水牛も生息していた。これは骨が出てくるし甲骨文にも名前が出てくる。そもそも象は象形文字として登場している。 また雨も多い。甲骨文を読むと1月から13月[ママ]まで一年中雨が降っている。9月には18日連続で降った記載がある。ほかにも12月に作物を収穫したとの記録もある。年間降水量は今の700ミリよりも100ミリ多い800ミリ程度であるとしている。 記事中では、まずもって今の長江流域の気候水準であるとしている。
2023/05/15 リンク