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世界がコトからできているわけ≪「論理哲学論考」を論考する1≫ - 独今論者のカップ麺
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世界がコトからできているわけ≪「論理哲学論考」を論考する1≫ - 独今論者のカップ麺
ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を論考する ウィトゲンシュタインの世界観は、カントと同じよう... ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を論考する ウィトゲンシュタインの世界観は、カントと同じように超越論的なものである。 「論理哲学論考」では「2.0231世界の実体を規定しうるのは形式であって、実質的な世界の在り方ではない」「2.0232一言でいうなら対象は無色なのである」と言っている。世界は、そのままでは人間が理解できるような「色」がついておらず、「形式」というフレームを当てはめることによってはじめて理解可能な姿になるとするものだ。世界は、人間が理解できる意味をはじめから備えていない。人間が意味づけしなければ意味は生じないのだ。そして、その意味づけをするときに形式という「フレーム」が必要になる。 たとえば、世界を表に表して理解しようとするのなら、その表をどんな枠組みにして、どんな見出しをつけるかを決めるのは理解する側の仕事であって、世界の側にはじめから備わっている問題ではない。…とす