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日本語学を学ぶ―言葉は〈どのように〉生きているのか―
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(国語国文の研究紹介) 日本語は私たちにとって最も身近な言葉です。それだけについ何でも知っている気... (国語国文の研究紹介) 日本語は私たちにとって最も身近な言葉です。それだけについ何でも知っている気になり、裏付けのない感覚的な態度で向き合いがちです。例えば「ことばの乱れ」。代表格はいわゆる「ら抜き言葉」でしょう。ある人は「ら抜きは正しい日本語ではない」と非難し、またある人は「言葉は生きているから変わるのは当然」と擁護します。しかし、どちらの態度も日本語学的態度とはいえません。なぜなら、どちらも事実を正確にとらえていないからです。 例えば、「昨夜は流れ星がたくさん見られた」は「たくさん見れた」と「ら抜き」になります。しかし、同じ「見られた」でも「いたずらしている所を見られた」は「見れた」とは絶対になりません。「ことばの乱れ」とされるものは実は言語変化の初期段階という場合があり、「ら抜き」もそのひとつと考えられます。この言語変化の譬えとしてなら、「ことばは生きている」という表現は確かに絶妙で