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「かなしい坂」を知ってますか?玉川上水を辿り当時に想いを馳せる旅 | 下町ぶろぐ・・・ヒロ日記
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「かなしい坂」を知ってますか?玉川上水を辿り当時に想いを馳せる旅 | 下町ぶろぐ・・・ヒロ日記
玉川上水 多摩の羽村から四谷までの全長43km、1653年に築かれた玉川上水はかつては江戸市中へ飲料水を供... 玉川上水 多摩の羽村から四谷までの全長43km、1653年に築かれた玉川上水はかつては江戸市中へ飲料水を供給していた生活の要となる上水道でした。 のちに玉川兄弟と呼ばれる庄右衛門、清右衛門が玉川上水開削の指揮をとり、その資金として江戸幕府より6000両が用意されたそうです。 実際に羽村市にある羽村市郷土博物館に行ったことがありますが、 そこで当時の状況をうかがい知ることができます。 ポイントは羽村から四谷までの標高差が約100メートルしかなかったということ。 43kmの長さをたった100メートルの高低差で繋がなければいけません。 その工事はまさに困難を極めたということです。 大きな失敗が2度あり、 一つ目は日野を取水口としたとき、地面に水が吸い込まれてしまう「水喰土」に水が吸い込まれてしまい、流路を変更。 二つ目は福生を取水口としたとき、工事の途中岩盤に当たってしまったこと。 水喰土