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証明できぬ世界をどのように扱うか。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』
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証明できぬ世界をどのように扱うか。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』
本屋で立ち読みをした。精神分析医や脳学者の本が腹立たしい。 彼らは、街中で営まれる葬儀に行き、「あ... 本屋で立ち読みをした。精神分析医や脳学者の本が腹立たしい。 彼らは、街中で営まれる葬儀に行き、「あの世なんてありません」、「あの世はないのですから、成仏のために祈祷料を取る僧侶は詐欺です」と宣言する勇気を持っているのだろうか。 それは、日教組で日の丸に反対する人達が、サッカーの国際試合で国立競技場のスタンドにはためく日の丸を振る人達に日の丸反対の抗議行動をしないのと同様、卑劣なことである。☆ 目に見えぬ物しか存在しないと言い切る人達がいる。そして、彼らは妄想・幻視などという言葉を使って、自らの論理矛盾を埋めている。だが、目に見えぬ物しか存在しないなどと妄信することに妥当性はない。人間には五感しかない。関知・認知できるのは三次元でしかない。 科学を報じる人達が、それ以上の次元が存在しないと断言することの方が頑迷であると私は思う。 * さらに言えば、環境問題と称して、人類の永続の繁栄を望む声が