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青山昌文先生の芸術論。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』
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青山昌文先生の芸術論。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』
放送大学の芸術論の講義の究極の要約。その内容に、私も、深く納得する。 ○ 芸術は、芸術家の自己表現が... 放送大学の芸術論の講義の究極の要約。その内容に、私も、深く納得する。 ○ 芸術は、芸術家の自己表現が目的ではない。 芸術が目指すものは、この世界の「本質(存在)」の表現である。 さらに、芸術は「芸術そのもの」が目的ではなく、何らかの目的である。 それは、「政治的」であったり、「宗教的」であったり、「社会的」であったり、する。 ○ さらに、青山先生が強調するのは、18世紀以降の芸術論は、「近代主観主義」であって、通史的な妥当性を持たない。ということ。 授業の後半は、フランス啓蒙時代の批評家・ディドロについて多くの時間を割き、最後は、ロシアの演劇学者スタニスラフスキーとディドロの理論が同じであると説いた。 この説は、ご丁寧にも、日本の代表的な演出家・蜷川幸雄氏のインタビューで援用もしている。 * それは、「俳優が、役になりきる」のは、演技の理想ではなく、「俳優は、演技を冷静にコントロールする」