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父母と川柳: 気がつけば82歳
川柳のお笑い番組を偶然見て、私が幼かった頃父母が川柳雑誌に投稿していたことを思い出した。 昭和初期... 川柳のお笑い番組を偶然見て、私が幼かった頃父母が川柳雑誌に投稿していたことを思い出した。 昭和初期、大阪の麻生路郎先生の会に入っていたようだ。 何か残っているかしらと 思い付いて母が亡くなった後で親しくして下さっていた若い新聞記者さんや友人が母の遺稿と母の想い出を纏めてくださった小さな本をホント久しぶりに開いた。 昭和34年のことである。 その中の母の川柳で私が好きだった幾つかを。 うちの子が小さく見える入学日 女だから女だからと育てられ 灯を入れし雛どこやら姉に似し 寒空に待ってる程の恋でなし こんなのもある。 いそいそと戻れば門に子の居らず ようあきもせず急行の普通車のと 次の子の瞳に望みかけて居り うそだよと子供にいわれハッとする 母が川柳を始めたのは私が生まれた頃で句会に行けず父が母の句を持って行ってくれたと遺稿にあった。 その父の句よりも母のが雑誌の巻頭に乗ったり「天」に選ばれた