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“善意が起こす「革命」はタチが悪い!” ― 小島 毅『近代日本の陽明学』
少し前の読売新聞の書評《浮薄な「伝統」礼賛を批判》や、朝日新聞の書評《持ち込まれた変革の思想の系... 少し前の読売新聞の書評《浮薄な「伝統」礼賛を批判》や、朝日新聞の書評《持ち込まれた変革の思想の系脈をたどる》でもとりあげられていたので、手に取られた方もいらっしゃると思います。 まずは苅部直さんの読売書評から ― 新渡戸の言説の背景には、心情の純粋さを日本の国民性として謳(うた)いあげる、日清・日露戦争のころの知識人の傾向がある。そうした「純粋動機主義」の称揚が、徳川時代の陽明学から、明治の知識人による陽明学礼賛をへて、昭和のマルクス主義者や三島由紀夫に至るまで、連綿とした系譜をなしてきた。これに対して小島毅の近著は、中国思想研究の見識にもとづいて、動機さえ純粋であればどんな行為も許してしまう態度の危うさを批判する。その病は、「心の問題」と口にしながら靖国神社へ参拝してしまう総理大臣にも、及んでいるのである。 野口武彦さんの朝日書評から ― 著者の見るところ、日本陽明学の特色は「純粋動機主
2012/04/24 リンク