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蒼蒼―中国的なるものを考える_81:1930年代左翼のアジア的生産様式論 その五 赤松啓介『東洋古代史講話』(東洋古代民族史)について
前回では、野呂栄太郎の、アジア的生産様式に関する問題意識を継ぐものとして、羽仁五郎、服部之総、平... 前回では、野呂栄太郎の、アジア的生産様式に関する問題意識を継ぐものとして、羽仁五郎、服部之総、平野義太郎を取り上げた。今回は、主に古代史研究の分野において、アジア的生産様式を論じた理論家たちを取り上げみたい。 とはいえ、早川二郎、秋沢修二、渡部義通、森谷克己などについては、この連載エッセーのなかで、すでに二、三度言及して来た。それらの言及が十分なものだったとはいえないし、また、その後、彼らの著作を何度か読み込むうちに、やや印象が変わってきたところもあるが、それを詳細に論じても、読者にとっては退屈であろうから、ここでは、これまでまったく言及したことのない人物をとりあげたい。 まず、赤松啓介(本名栗山一夫 1909-2000)である。戦後、とくに1980年代以降「性の民俗学」の大家としてすっかり有名になった赤松は、戦前、マルクス史家として出発した。すでに『歴史科学』1935年1月号に「郷土研究
2019/02/26 リンク