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「石光真清の手記」 より ― 1918年のブラゴヴェシチェンスクの経済事情
ページを閉じる 『石光真清の手記』 より ブラゴヴェシチェンスクの経済事情、1918年初頭 関東都督府陸... ページを閉じる 『石光真清の手記』 より ブラゴヴェシチェンスクの経済事情、1918年初頭 関東都督府陸軍部嘱託 (諜報員) 石光真清 (1868-1942) は、ロシア革命の直後に軍の密命を帯びてアムール州へ派遣されている。 彼が任地ブラゴヴェシチェンスクへ到着したのは、大正7年 (1918年)1月15日であったが、当時のブラゴヴェシチェンスクの市民生活、通貨事情について、石光は彼の手記の中で次のように述べている (石光真清の手記 『誰のために』(中公文庫) P.49~50 )。 食糧事情はアレキセーフスカヤ (鉄道沿線の町) よりも良かった。 主要食糧品の割当切符制が早くから実施されたからで、商店の前には買物籠を提げた女子供たちが長い列をつくっていた。 乏しい配給ではあるが、晴れた静かな日には賑やかにお喋りをしながら、彼等は楽しんでいるかのようにさえ見えた。 ・・・ (中略) ・・・
2022/06/11 リンク