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「中央公論」編集長を務めた粕谷一希さん死去:朝日新聞デジタル
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「中央公論」編集長を務めた粕谷一希さん死去:朝日新聞デジタル
総合誌「中央公論」や「東京人」の編集長を務め、評論家としても活躍した粕谷一希(かすや・かずき)さ... 総合誌「中央公論」や「東京人」の編集長を務め、評論家としても活躍した粕谷一希(かすや・かずき)さんが30日、心不全で死去した。84歳だった。通夜は6月5日午後6時、葬儀は6日午前11時から東京都文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿で。喪主は妻幸子(さちこ)さん。後日お別れの会を開く予定。 東大法学部を卒業後の1955年、中央公論社に入社。右翼少年が同社の社長宅を襲撃した「風流夢譚(むたん)事件」後、「中央公論」の次長に。67年に編集長になり、保守派の現実路線を確立させた。編集者として政治学者の故・高坂正尭、作家の塩野七生さん、作家の庄司薫さんを発掘するなど活躍した。 78年に退社後、文筆活動に転じ、87年に設立した都市出版の社長に就任。雑誌「東京人」「外交フォーラム」を創刊し、編集長を務めた。著書に「鎮魂 吉田満とその時代」「戦後思潮――知識人たちの肖像」「作家が死ぬと時代が変わる」などが