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ちなみに何故いつもより早い時期に書いているかというとコメントに促されたからではなく、今年は正月が... ちなみに何故いつもより早い時期に書いているかというとコメントに促されたからではなく、今年は正月がなさそうだからです。しくしく。 さて八島報告だが、リバタリアニズムによる相続否定論というのは別に構わないのだが、遺贈はどうするのかという質問に対して「考えてませんでした」(超訳・だが「将来の課題として」ってのはそういう意味だよな)と答えられた段階で「ありえねえ」と本当に声に出して言ってしまった私を誰が責められよう(反語)。私自身が質疑において指摘した通り、権利主体性の終期がいつなのか、権利消滅後の無主物と国家との関係も不分明である。所有者の死によって無主物となったものを国家が管理するというのだが、従って所有権は消滅していると考えると、残された家族が自宅などを再取得するために国家に金銭を支払うとすることの根拠が不明である。おそらく金銭を念頭に置いているのだろうが、無主物となった死者の財産を一定の条
2008/08/20 リンク