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上野風月堂|創業から愛され続けて270年|上野風月堂の歴史
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上野風月堂|創業から愛され続けて270年|上野風月堂の歴史
上野風月堂の歴史は、初代の大住喜右衛門が江戸に下った1747年に始まりました。「江戸でも上方にあ... 上野風月堂の歴史は、初代の大住喜右衛門が江戸に下った1747年に始まりました。「江戸でも上方にあるような美味しいお菓子を作りたい」という志を持って大阪から下った喜右衛門は、京橋に「大坂屋」を開店。その誠実な仕事ぶりは江戸でも評判を呼ぶようになります。 やがて水野忠光の側室として上がっていた喜右衛門の養女、恂が、後に老中となる忠邦を出産。当時の慣習に従って宿下りとなった恂は二代目大住喜右衛門を婿に迎え、夫婦で大坂屋を盛り立てていきます。「大坂屋」の菓子は大名たちの間でも評判を呼ぶようになり、二代目喜右衛門の誠実な人柄は松平定信公の知るところになりました。「汝が心事の清白なるを愛する。これをもって屋号とせよ」と公から「風月堂清白」の五文字を賜りました。「風月」は定信公の雅号でもあります。 この報せに喜んだ忠邦は当時の名書家、市河米庵に「風月堂」と巨大な白布に揮毫させ、これをもって店頭に掲げよと