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文人閑居して文字に遊ぶ 最終回(2)
≪前頁より続き≫ ここで問題を一つ。山本山式の書畫家の人名を日支各一人擧げよ。(出来ても御褒美は出な... ≪前頁より続き≫ ここで問題を一つ。山本山式の書畫家の人名を日支各一人擧げよ。(出来ても御褒美は出ないよ) さらにまた冀北はどうだ。下の字は上の字の一部である。これに類する者はどうも他に思ひつかない。加賀、成城といふのがあるがこれは本體の字ではない。 清の阮元がある時學童に口對を課した。ちと餘計な説明をすると、書面でなく、口頭で對句を答へることを口對、また對對子といふ。支那では古くから對句を作ることを幼時から訓練され、何かにつけて應對を求められた。たとへば青山と言へば、緑水と應へるやうに。だから、ある先生が學童に月圓と題を出したら、學童が風扁と對した。先生解せず、その意を問ふと、學童は風はどんな小さな隙間からも吹きこむのだから扁(ひらた)いにちがひないと言ったといふ笑話がある。さて話のもとにもどって、阮元先生學童に對して「伊尹」と出句した。學童すかさず「老師」と對した。阮元先生解せず、さら
2007/11/08 リンク