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http://www.hakuraido.com/hakuraido_01/ameyoko/ameyoko.html
上野アメ横の歴史 現在のアメ横の原型は、終戦直後、現在のJR山手線上野駅〜御徒町駅間に多数のバラック... 上野アメ横の歴史 現在のアメ横の原型は、終戦直後、現在のJR山手線上野駅〜御徒町駅間に多数のバラック店舗が軒をつらねた簡易マーケットが建設されたところにさかのぼります。食料難の時代であり、砂糖なども不足していました。昭和22年後半になると、サッカリンという砂糖に代わる甘味料を原料としたアメ菓子や芋アメマーケットで売り出され大ヒット。周辺にあった商店の次々とアメ菓子をうるようになり、その数は、300軒近くにのぼりました。アメ一色の街はたちまち評判となって、上野駅を起点とする沿線(遠くは、北海道、青森など)から連日買出しの人たちで賑わいを見せました。いつしか、『アメ屋横丁』と呼ばれ親しまれるようなりました。昭和25年以降になると、朝鮮戦争の勃発の影響もあり、駐留米軍などからアメリカ物資がマーケットに大量に流れ込んできました。このころは『アメリカ横丁』と呼ばれました。 芋アメのアメとアメリカ
2013/11/17 リンク