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白水社 :連載・エッセイ 今尾恵介「地図で読む戦争の時代」 第25回 「不要不急」とされた鉄道
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白水社 :連載・エッセイ 今尾恵介「地図で読む戦争の時代」 第25回 「不要不急」とされた鉄道
戦争末期の昭和19年(1944)に部分修正が行われた5万分の1地形図「横須賀」のうち逗子付近である。紙質... 戦争末期の昭和19年(1944)に部分修正が行われた5万分の1地形図「横須賀」のうち逗子付近である。紙質も印刷の状態もよくないが、発行されたのは戦後の混乱期の昭和22年(1947)。紙もインクも人材も極度に不足していた頃だから当然かもしれない。このエリアは東京湾口を睨む海軍の横須賀鎮守府がある要塞地帯で、地形図は大正以前から長らく一般人が入手できない状態であり、ようやく市販できるようになったのが戦後のこの時期だったのである。 現在は逗子市だが、自治体名が見当たらないのは前年に横須賀市に編入されていたため。当時は軍事的に拠点となる自治体に対しては国が「強制合併」させることがあり、旧逗子町も海軍軍需部の倉庫、いわゆる池子の弾薬庫(現在は米軍住宅)などが存在したためか、編入が行われている。ちなみに戦後になって住民による「分離独立運動」もあり、昭和25年になってふたたび逗子町となり、同29年に市