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ことばと文化のミニ講座 - 歴史的仮名遣と旧仮名遣を峻別せよ
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ことばと文化のミニ講座 - 歴史的仮名遣と旧仮名遣を峻別せよ
近ごろ、私信はもちろんのこと、論文などの原稿も歴史的仮名遣で書くことが少なくない。いつから歴史的... 近ごろ、私信はもちろんのこと、論文などの原稿も歴史的仮名遣で書くことが少なくない。いつから歴史的仮名遣を用ゐるやうになつたのかは忘れてしまつたが、歴史的仮名遣を使つてみようと思ひ立つた切つ掛けだけはよく覚えてゐる。 大学時代、さるレポートを綴つてゐたときのこと。「私の考へでは」といふ意味で、「我思ふやう」と記さうとした。ところが、いざ現代仮名遣で「我思うよう」と書いてみると、なんとも気持ちが悪くて仕方ない。なぜ違和感が走るのか考へてみると、原因は「思うよう」の「よう」にある。これが「~したいよう」の「よう」のごとく見えるから気持ち悪いのだ。つまり、「我思うよう」と記すと、幼い子が「ぼくはこう思ってるんだよう!」と駄々をこねてゐるやうにも映り、印象が曇ること甚だしい。そこで「我思ふやう」と歴史的仮名遣で書き直してみたところ、これが落ち着くのである。しつくり「私の考へでは」の意味に響くではない