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かつての日本語の隣人をよく知る(続き)、日本語の超難問に挑む | 日本語の意外な歴史
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かつての日本語の隣人をよく知る(続き)、日本語の超難問に挑む | 日本語の意外な歴史
(前回の記事の続きです。過去の記事の修正も含まれています。) 「水」を意味していたpataのような語が... (前回の記事の続きです。過去の記事の修正も含まれています。) 「水」を意味していたpataのような語が、「横の部分」を意味するようになったことをお話ししました。 「横の部分」を意味するようになったpataのような語は、ɸata(端)になりましたが、「端」を意味する語は、「終わり」を意味するようになることが多いです。途絶えることを表すpataʔ(ぱたっ)、終わること・終えることを意味するɸatu(果つ)、ɸata(果たす)、ɸate(果て)などがそうです。 ɸatati(二十歳)とɸatuka(二十日)に含まれているɸata/ɸatu(二十)も見逃せません。人間は、手の指が10本、手足の指が20本で、ɸata/ɸatu(二十)は、数えていった時の「終わり」という意味でしょう。 「端」を意味する語は、逆に「始まり」を意味するようになることも多いです。ɸatu(初)がそうです。ɸasi(端)から