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<ぶら歩き七郷>「六丁の目」弘法の伝説 | 河北新報オンラインニュース
(3)地名は語る 通称「産業道路」を仙台市若林区六丁の目から少し入った市七郷六丁目コミュニティ・... (3)地名は語る 通称「産業道路」を仙台市若林区六丁の目から少し入った市七郷六丁目コミュニティ・センターに向かう。敷地の一角に小さなほこらを見つけた。 格子状の扉から中をのぞくと、鎮座した石碑に「南無阿弥陀仏(あみだぶつ)」と彫ってある。左右が逆の鏡文字だ。「弘法大師の筆」と言い伝えが残るこの6文字が「六丁の目」の由来らしい。 石碑は1685(貞享2)年、橋の架け替え工事の最中に橋の土台部分から見つかった。地元の郷土史研究者松木達雄さん(69)は「発見後は『六字の銘』と呼ばれ大切にされてきました」と解説する。 つまり、音便が変化して「六丁の目」。ほかにも「陸奥国分寺(若林区木ノ下)から6丁離れているから」という説もあるという。いずれにしても「若い人や新住民は知らないでしょうね」と、近所でそば店を営む佐藤孝太郎さん(68)がこぼした。 荒井地区に引き返し、鎌倉時代に新田開発の拠点と
2015/12/11 リンク