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神戸新聞NEXT|社会|大阪城の採石跡 六甲山で遺構を確認 西宮市教委
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神戸新聞NEXT|社会|大阪城の採石跡 六甲山で遺構を確認 西宮市教委
大阪城再築のために切り出された石垣用の花こう岩が、山の斜面に残る=西宮市甲山町、県立甲山森林公園... 大阪城再築のために切り出された石垣用の花こう岩が、山の斜面に残る=西宮市甲山町、県立甲山森林公園(撮影・笠原次郎) 1615(慶長20)年の「大坂夏の陣」で焼失した大阪城を再築する際、石垣の石を採掘したとされる東六甲採石場(神戸市東灘区‐西宮市)で、採石跡とみられる遺構を複数確認した、と西宮市教育委員会が16日に発表した。樹木などに覆われた山林でも有効な「航空3次元レーザー測量」で、掘り出された岩石の形状や地表の変形具合を把握。ブドウの房状に連なったくぼみ約20個を見つけた。(斉藤絵美) 豊臣秀吉が築いた大阪城は焼失の5年後、徳川2代将軍秀忠の命で再建が始まった。要した石材は100万個以上ともいわれ、西日本を中心に各地の大名が六甲山や香川・小豆島などで採石したとされる。 良質な花こう岩が多い東六甲採石場も産地の一つ。切り出しただけで城まで運ばれず放置された巨石は多数確認されていたものの、東