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ミシェル・フーコー講義集成13 真理の勇気 - 柄谷行人
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ミシェル・フーコー講義集成13 真理の勇気 - 柄谷行人
「真の生」開く哲学、ソクラテスに探る 本書はフーコー最晩年(1984年)の講義録であり、その主題... 「真の生」開く哲学、ソクラテスに探る 本書はフーコー最晩年(1984年)の講義録であり、その主題は「パレーシア」である。それはギリシャ語で「真理を語る」という意味だ。真理を語るといっても、いろんなケースがある。真理を語ることによって、相手との関係が損なわれたり、自分の身が危うくなる場合がある。パレーシアとはそのような場において真理を語ることである。だから、パレーシアには「勇気」がいる。 なぜフーコーはこのことを考えるようになったのか。それは哲学の意味を問い直すためである。今日、哲学は知識を厳密に基礎づける仕事として存在している。それはプラトン以来の哲学がたどった道である。フーコーはそれに異議を唱える。哲学は「真の生」を開示するものであった、と彼はいいたいのだ。そして、彼は、「ソクラテス以前の哲学」に向かった同時代の傾向に反して、その手がかりをソクラテスに見いだそうとする。 ソクラテス