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寝殿造5.1 寝殿造の歴史概要
以下に寝殿造の時代のおおよその範囲を規模別に示す。 寝殿造の発生 寝殿造の時代はおよそ10世紀後半か... 以下に寝殿造の時代のおおよその範囲を規模別に示す。 寝殿造の発生 寝殿造の時代はおよそ10世紀後半からというのが通説である。平安京内裏は村上天皇の代の天徳4年(960)9月23日に最初の火災に遭い、その後何度も被災・再建を繰り返す。当初は後院が仮皇居として用いられたが、後院が上皇の在所として既に用いられている場合などには、天皇外戚の邸宅などが仮皇居として用いられた。これが里内裏である。およそその頃から、摂関家などの上級貴族の屋敷が豪華になる。家地関係史料に「寝殿」という文字が現れる最初は山城国山田郷長解(平安遺文313)に見える貞元3年(978)秦是子の家でありそこには「三間四面寝殿一宇 在孫庇北南 七間三面土屋壱宇」とある。これは上記の図では「小規模邸宅」に相当する。しかし藤田勝也は後述するように寝殿造は徐々に出来上がっていったと云うよりも、ある屋敷から急に広まった可能性を指摘する。藤田