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sangetu_siken
先日読んだある評論では、「李徴が虎になったのは虫がよすぎる。人間であった時の所業を反省するなら、... 先日読んだある評論では、「李徴が虎になったのは虫がよすぎる。人間であった時の所業を反省するなら、それこそ虫けらにでもなるべきだった」とか、「もし袁參ではなく妻子と出会っていても妻子のことより詩業のことを先に気にかけるだろうか」とか、「どうして虎としての最初の体験が兎を食うのでなく人間を食っていた方が衝撃度が大きくて面白いのに」とか無責任に書き放ってあった。読んでいて面白い発想であるとは思ったが、かなりこいつは歪んでいる、こいつこそハイエナが何かになってしまえなどど思った。これらの設定は、元にした『人虎伝』を踏襲しているので仕方がないことなのだ。そこまで言うのは中島敦には酷である。で、問題は『人虎伝』と『山月記』の違いである。『人虎伝』にはなくて『山月記』に書き加えられているものである。一つ目は、依頼の順番が詩の伝録の次に妻子のことという順に入れ換えられていること、二つ目は、李徴が詩人になろ