エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
ルソー『エミール』
ルソー『エミール』 何も愛さない人は幸福ではありえない. 人間を知る前に社会を見せても,教育にはな... ルソー『エミール』 何も愛さない人は幸福ではありえない. 人間を知る前に社会を見せても,教育にはならない. トップページへ 第3章概説へ (前略) 人間に社会性をもたせるのは、その弱さである。われわれの心を人間愛に向かわせるのは、われわれ共通の不幸である。もしわれわれが人間でなかったとしたら、われわれは人類に対していかなる負債をも負わないことになるだろう。あらゆる愛着は不十分であることのしるしである。もしわれわれ一人一人がまったく他人を必要としていなければ、だれも自分を他人に結びつけようなどとは思わないだろう。このように、われわれのかよわさ自体から、われわれのはかない幸福は生まれるのだ、真に幸福な存在は孤独な存在である。神のみが絶対的な幸福を享受している。しかしわれわれのうちのだれが、そんな幸福を想像できよう。もし不完全な存在が自分一人で自分のことができたとしたら、その人は何を享受している