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樋澤吉彦「「自己決定」を支える「パターナリズム」についての一考察──「倫理綱領」改訂議論に対する「違和感」から」
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樋澤吉彦「「自己決定」を支える「パターナリズム」についての一考察──「倫理綱領」改訂議論に対する「違和感」から」
「自己決定」を支える「パターナリズム」についての一考察 ─「倫理綱領」改訂議論に対する「違和感」か... 「自己決定」を支える「パターナリズム」についての一考察 ─「倫理綱領」改訂議論に対する「違和感」から─ 樋澤吉彦 2003年3月 『精神保健福祉』34-1:62-69 1.緒言 1)目的と、問題関心としての「3つの違和感」 本稿は、他者の行為を「制限」する理由の一つとして考えられている「パターナリズム」について、主に法学の分野における議論をもとに整理・検討を行うことを目的としている。そのうえで仮説として、常に「自己決定」と対比されるパターナリズムは、本来の意味での自己決定を支えるために、限定つきで不可欠な原理であることを示す。 ところで現在、日本精神保健福祉士協会(以下、「協会」)の倫理綱領改訂作業が進められている。協会は改訂の背景として「あまりにも理念的に整理され憲法的な側面が強調され」、「具体性に欠けるきらいがある」という以前からの指摘とともに、1997年(H.9)の「精神保健福祉士」