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水声通信 -Web Version-
2 ロシアの文化状況 ベンヤミンの「モスクワみやげ」についてもう少し見ていくならば,つぎにとりあげ... 2 ロシアの文化状況 ベンヤミンの「モスクワみやげ」についてもう少し見ていくならば,つぎにとりあげるべきは,アーシャ・ラツィスという存在が占めていた比重からしても,当然,「プロレタリア児童劇場の綱領」(1929)ということになろう。しかしその前に,モスクワから帰った直後にベンヤミンが書いたロシア関係のエッセイにも手短かに触れておきたい(『モスクワ日記』と内容が重なる「モスクワ」〔1927〕は除く)。 1927年の『文学世界』にベンヤミンは,「ロシア作家の政治的グループ分け」(3月),「ロシア映画芸術の現状について」(3月),「オシュカー・シュミッツへの反論」(3月),「グラトコフ『セメント』評」(6月),また『i 10』(1927年,7号)に「ロシアの新しい文学」を発表している。時期はややあとになるが,1930年には『文学世界』に,「ロシアでの演劇の成功はどのような姿をしているか」(1月)
2008/06/02 リンク