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東南アジア史(第8回 東南アジアのイスラム化とヨーロッパ) - 歴史研究所
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東南アジア史(第8回 東南アジアのイスラム化とヨーロッパ) - 歴史研究所
さて、先ほどマタラム王国が登場しました。これは、オランダと覇権を争います。というのも、パタヴィア... さて、先ほどマタラム王国が登場しました。これは、オランダと覇権を争います。というのも、パタヴィア(今のジャカルタ)にオランダが東インド会社の商館を作っていたからです。第3代スルタン・アグン(1613~45年)は、28年、29年の土に渡り侵攻しますが撃退され、それどころか自分の領内で反乱や王位継承戦争が起こってしまいます。 そのため、オランダがこれに介入してくるようになり、領土を割譲するハメになってしまいました。第1次~第3次にわたるジャワ継承戦争で、事実上オランダの保護下に入ってしまい、1755年、ジョクジャカルタとスラカルタの2つの王国に分裂してしまいました。 ところで、最後にスペインと東南アジアの話もしなければいけませんね。 スペインは大航海時代が始まると、コロンブスに代表されるようにアメリカ方面に進出します。しかし、それからさらに太平洋を越え、マゼラン率いる一行がフィリピン諸島に上陸