エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
東南アジア史(第8回 東南アジアのイスラム化とヨーロッパ) - 歴史研究所
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
東南アジア史(第8回 東南アジアのイスラム化とヨーロッパ) - 歴史研究所
さて、15世紀末~16世紀はヨーロッパで大航海時代が始まった時代でもあります。それまで、東南アジ... さて、15世紀末~16世紀はヨーロッパで大航海時代が始まった時代でもあります。それまで、東南アジアの香料はイスラム商人を通じ、イタリア半島の交易都市国家ヴェネツィアによって輸出され、かの国は独占貿易で多大な利益を上げていました。 ところが、いっそのこと直接貿易してやろうと考えたのが、ポルトガルです。 ディアスなど、様々な航海者の度重なる南進の末、南アフリカ経由で、1498年にヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到達し、ポルトガルはここに商館を築きます。そしてほどなくマラッカ王国を訪問。「なかなかいい場所だ、ここを奪ってやろう」と考えたポルトガルのインド副王アフフォンソ・デ・アルクブケは、1511年、16隻の大艦隊を率いてここを占領します。 狙いは香料ですから、引き続き産地であるマルク諸島のテルナテ王に艦隊を送り、これを要求し大量の香料を手に入れる一方、マラッカとは対立関係にあったアユタ