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第五回 伴大納言絵巻 ――泣く女|日本人は闇をどう描いてきたか|webちくま
日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれる... 日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日本美術入門。第五回は、歴史的事件を描いた作品から。 応天門の変と摂関政治の幕開け 延喜元年(九〇一)成立の歴史書『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』には、貞観八年(八六六)閏三月十日、内裏の応天門が焼失した記録が残る。続いて同年八月三日、大宅首鷹取(おおやけのおびとたかとり)が大納言の伴善男(とものよしお)とその息子を放火犯として告発、九月二十二日には、伴父子及びこれに連座して紀夏井(きのなつい)らが流罪となったことが記されている。 歴史上、応天門の変(おうてんもんのへん)と呼ばれるこの事件の背景には、伴善男や紀夏井ら平安初期に擡頭(たいとう)した新官人群と、藤原良房(ふじわらのよしふさ)ら門閥貴族との対立があったと
2017/07/09 リンク