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『皇帝フリードリヒ二世』 エルンスト・H・カントーロヴィチ著 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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『皇帝フリードリヒ二世』 エルンスト・H・カントーロヴィチ著 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
「国民の歴史」の創始と讃(たた)えられる名著『フランス史』の中でミシュレは、終生教皇と激しく対立し... 「国民の歴史」の創始と讃(たた)えられる名著『フランス史』の中でミシュレは、終生教皇と激しく対立したことからモーセ、ムハンマド、イエスを「3人の詐欺師」とする「おぞましい本」を書いたとまことしやかな噂(うわさ)を流され、反キリストとみなされた神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世にしばしば触れている。サラセン人を衛兵にし、エジプトのスルタンと親交を結び、ボローニャの法学者とアラブの博士たちに囲まれ、アラブ人を愛人とした「大胆な思想家」で、かつ「邪悪な信仰家」というミシュレの記述が、いよいよこの皇帝への関心を掻(か)き立てる。 フリードリヒは、1194年のクリスマス、父ハインリヒ六世がシチリア王として戴冠(たいかん)した日の翌日、イタリアのアンコーナ近くのイエージで生まれた。そのときこの子は「久しく待望された世界の王として、東方と西方の世界を統合すべき使命を帯びている」と予言されたという。しかしそれ