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『形象の力 合理的言語の無力』 エルネスト・グラッシ著 評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
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『形象の力 合理的言語の無力』 エルネスト・グラッシ著 評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
情念を動かす哲学を 合理的に考えることは大切だ。だが、物事を正確に分析し、緻密な計算と論証により発... 情念を動かす哲学を 合理的に考えることは大切だ。だが、物事を正確に分析し、緻密な計算と論証により発展した科学技術が、結果として非人間的な状況や人類の悲劇を生み出してきたことも確かである。私たちは合理性で世界に関わるだけでよいのか。この哲学的な問いには、古代ギリシア以来もう一つの答えが、いわば文明の裏街道で脈々と受け継がれてきた。それが「人文学」とも訳されるフマニスムである。 私たちは「形」で物事を一挙に全体として把握することができる。例えば、ある人物を知る時に、経歴や能力の数値データを分析するより、会って直接話をすれば一瞬で人柄が分かる、そんな直観、洞察だ。比喩や類比、想像力を駆使する芸術や文学には、そのように真実を直接示す働きがある。鮮明に世界のあり方を開示する形象の力を、もう一度信頼すべき時ではないか。 論理を追求するロゴスの哲学だけでなく、形象を通じて情念を動かすパトスの哲学が必要で