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§1 日本堤(吉原土手) さて今回のテーマは隅田河畔から内陸に伸びる不思議な巨大堤 防の役割を解明し... §1 日本堤(吉原土手) さて今回のテーマは隅田河畔から内陸に伸びる不思議な巨大堤 防の役割を解明したいと思います。 先ずは日本堤の名前の由来から、当時奥州街道も吉野橋付近から小塚原にかけては低湿地帯で街道保全の為、土手を築き堤上に道を通しておりました。ここに新たに三ノ輪まで新堤防の出現で二本堤と呼ばれ、その後日本堤と変化したと言われております。 それでは、最初に隅田川河畔から三ノ輪にかけての土手界隈の現在を探索してみましょう。 吉原通いの遊客が、猪牙舟(ちょきぶね)の乗り降りで賑わった山谷掘口はすでに暗渠になり、堀口の今戸橋も橋柱を残すのみです。 名作、久保田万太郎の”今戸橋”、永井荷風の”すみだ川”など明治、大正の風情の染み込んだ橋の跡地が山谷掘跡公園の入り口になっております。 昔日の風景…… ”すみだ川” 永井荷風作 岩波文庫 ……まだ店をしまわずにいる休茶屋を見つけ