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武家家伝_黒木氏
違い鷹の羽/七曜/横木瓜も用いたという。また、筑後黒木氏に伝わる家紋は亀甲四つ目菱で、特に本家は三... 違い鷹の羽/七曜/横木瓜も用いたという。また、筑後黒木氏に伝わる家紋は亀甲四つ目菱で、特に本家は三重亀甲となっているとの情報もいただきました。 黒木氏は、筑後国上妻郡のほぼ中央部、星野川が矢部川に合流する地点にある黒木郷より起こった。この黒木氏というのは、河崎・星野・黒木の三氏を調党の三家というように、本姓は調宿禰で、それから分かれた三家の惣領家である。『姓氏家系大辞典』をみると、これら三氏に対して、それぞれ多くの文献を引いて考証が加えられている。ひとつには、黒木氏の出自を清和源氏多田満仲の後裔としたり、あるいは公家大徳寺実定の落胤とか、後鳥羽天皇の落胤説、さらには奥州の安倍氏の後裔説もあって、真実は極め難いのである。 しかし結論的にいえば、帰化系氏族調忌寸(坂上氏同族)の後、調宿禰祐能が黒木郷木屋村に住み猫尾城を築いたのに始まるというのが、もっとも信じられるものとされる。 祐能は惟宗基言