エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
日本人類のあけぼの
これが世界史上における人類の歴史だ。 “最古の人類”と呼ばれている猿人の化石人骨は、今のところアフリ... これが世界史上における人類の歴史だ。 “最古の人類”と呼ばれている猿人の化石人骨は、今のところアフリカからしか発見されてない。 その次の原人になると、アジアからもジャワ原人や北京原人の化石人骨が発見されてるから、日本からも原人の化石人骨が発見されたって不思議じゃない。 実際、昭和6年に兵庫県明石市の西八木海岸で発見された化石人骨が、昭和23年に東京大学の長谷部言人(はせべ ことんど)によって「ニッポナントロプス=アカシエンシス」、つまり「明石原人」と命名された事があるんだよ。 長谷部によれば、腰骨の形からジャワ原人や北京原人と同じ段階のものという判断をしたらしい。 ところが昭和57年に、同じ東京大学の遠藤萬里(えんどう ばんり)と馬場悠男(ばば はるお)によって、この考え方は否定されるんだよ。 遠藤と馬場は世界の化石人骨のデータを集めて研究し、統計的手法によって「明石市で発掘された化石人骨