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「後三年の役」
え~、毎度お馴染み「歴史の話」。 前回の「前九年の役」で「源頼義(みなもとのよりよし)」は陸奥(むつ)... え~、毎度お馴染み「歴史の話」。 前回の「前九年の役」で「源頼義(みなもとのよりよし)」は陸奥(むつ)の国を手に入れるという野望を達成させることなく終わりましたが、その野望は息子の「源義家(みなもとのよしいえ)」に引き継がれ、彼は父の遺志を継いで源氏の勢力を拡大させようと企みます。 そして「前九年の役」から約20年後、東北地方で起こったある事件をきっかけに「源義家」は関東武士をまとめるリーダー(棟梁・とうりょう)としての地位を名実共に確立させることに成功します。 教科書では前九年の役と2つでワンセットみたいな感じで書かれていて、授業でも比較的サラッと流されてしまう話なんです。 でもこの話がもし無かったなら、岩手県の平泉が世界遺産に登録されることも無かったでしょうし、「源頼朝(みなもとのよりとも)」は鎌倉幕府を作れなかったかも知れませんってくらい日本史では結構重要な話なんです実は。