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『声の文化と文字の文化』 ウォルター・オング - 森田 真生のレビュー -2011年06月30日
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『声の文化と文字の文化』 ウォルター・オング - 森田 真生のレビュー -2011年06月30日
2011年06月30日 森田 真生 4月から私はダンサーの山田うんさんと”Dancing as Thinking”というプロジェク... 2011年06月30日 森田 真生 4月から私はダンサーの山田うんさんと”Dancing as Thinking”というプロジェクト(http://dancingasthinking.com/)を立ち上げて活動している。 もともと、山田うんさんの作品をはじめて観たときに「踊ることは考えることに似ている」となんとなく感じたことがきっかけで、その「なんとなく」をもっとはっきりさせてみたいというのがそもそもの動機であった。 thinking(=考えること)というと、普通私たちは、脳の活動を前提としたある程度高度な認知過程を想起するが、神経系の活動を基盤とした高度な「思考」の背景には、常に身体を舞台として展開する情動(emotion)のプロセスがあり、さらには内分泌系や免疫系が司るホメオスタシスの働きがある。思考の過程がそもそも脳以前に、こうしたより基本的な身体の働きを前提としていることを考慮