エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
元戦艦「霧島」主砲員 靖国神社に100隻以上の軍艦模型奉納 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース
終戦記念日周辺になると先の大戦についてメディアなどで多数語られるようになるが、かかわった兵士個々... 終戦記念日周辺になると先の大戦についてメディアなどで多数語られるようになるが、かかわった兵士個々人の体験というものはそれほど出てこない。戦後生まれが1億人を超え、総人口の8割近くに達している。戦争を直接知る者は年々減り、当時の実態を証言できる者は限られてきた。今こそ元日本軍兵士たちの肉声を聞いてみよう。ここでは元海軍戦艦「霧島」主砲員の元帆足宗次氏(96)の証言を紹介する。 * * * 〈帆足氏は大正5年生まれ。昭和8年5月佐世保海兵団入団。軽巡洋艦「川内」、重巡洋艦「那智」を経て、戦艦「霧島」乗り組み。主砲員としてハワイ作戦、インド洋作戦、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦などに参加。第三次ソロモン海戦で「霧島」沈没後、砲術学校教員を経て、19年10月空母「葛城」乗り組み。〉 昭和16年10月に戦艦「霧島」乗り組みを命ぜられた。当時海戦の主力であった憧れの戦艦に乗れると聞き、胸を躍らせ
2013/08/15 リンク