→紀伊國屋書店で購入 今を記述すること。このことは常に困難を伴っている。今を記述しようとしても、記述しようとする今と記述という営みを行う今は必然的にタイムラグを含んでいる。その上に、その記述を読む今が積み重なることで、記述しようとした今は、すでに時代遅れの今である可能性もある。今を記述することは、あたかも次の今を記述する営みに「時代遅れだ」と批判されるためにのみ積み重ねられる破滅的な営みであり、その意味で悲劇的であると言えよう。 だからと言って、今を記述することが捨て去られることはない。なぜなら、今を知ることが何よりも今を生きる我々に指針を与えてくれるからである。スコット・ラッシュが本書で行っている営みも、やはり今を記述することである。 今までもラッシュは今を記述してきた。たとえば、本書と関連の深いベックとギデンズとの共著(『再帰的近代化』)は「再帰的近代」として今を記述する営みであった。