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津波に関するfazz0611のブックマーク (8)

  • 【画像あり】陸前高田市の中学校で、やけくそとしか思えない運動会が開催される - 【2ch】ニーてつVIPブログ

    1:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/05/23(月) 11:23:29.45 ID:0qVZ70fg0● 陸前高田の中学校が運動会 東日大震災で被災し、校舎が使えなくなった陸前高田市の市立小友中学校が22日、 隣接する市立小友小学校の校庭を借り運動会を開いた。周辺にがれきが散乱し津波の傷痕が残る中、生徒たちの歓声と笑い声が響いた。 雨が降るあいにくの天気。開会式で生徒代表が「町の復興のため、地域の人たちに元気になってもらうために頑張ります」と宣誓した。 36人の生徒が徒競走や騎馬戦ではつらつとした姿を見せ、保護者らが声援を送った。 小友中は海岸線から約3キロ離れているが、津波は校舎2階にまで達した。 小友小も被害を受けたが、ボランティアや自衛隊が校庭のがれきを取り除き使用できるようになった。 応援団長の3年、田代祐也君(14)は「地域の人たちに元気を伝えることができたと思う。

  • 東日本大震災:大規模「磯焼け」の恐れ 三陸沿岸 - 毎日jp(毎日新聞)

    津波の被害状況を調査する岩手県水産技術センターの後藤友明・主任研究員(左)=同県釜石湾沖で2011年4月22日、奥山はるな撮影 アワビやウニの好漁場だった三陸沿岸の海中で、海藻が枯れて荒れ果てる「磯焼け」が大規模に発生する恐れがあることが、岩手県の調査でわかった。津波で押し流された大量のがれきや土砂が日光を遮り、海藻を枯らすのが原因。三陸の浜には「津波の後5年は、海からアワビやウニが消える」という言い伝えがあり、専門家は「漁場の復旧に5~10年かかる」とみている。【奥山はるな】 「相当ひどい」。22日、大船渡湾の被害状況を調べた岩手県水産技術センターの後藤友明・主任専門研究員は船上でうなった。家屋が波間に浮き沈みし、転覆船などから流れ出た重油が漂う。漁協が数億円かけて設置した定置網に養殖いかだが絡まり、くしゃくしゃになって流されていた。 魚群探知機で海中を調べると、がれきとみられる多数の物

  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

  • 【津波】存在しないと思われた女川町の津波動画がアップされる : 暇人\(^o^)/速報

    【津波】存在しないと思われた女川町の津波動画がアップされる Tweet 1:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/04/09(土) 11:31:54.52 ID:KqDHBfBu0 前スレ : 【動画あり】女川町からの津波動画うpがない理由 同じ視点の昔の町並み 撮影場所 http://goo.gl/maps/5Y2s 関連動画 271: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/03/24(木) 22:37:30.45 ID:NSnzYJvS0 女川町からの津波動画うpのない理由 19: [―{}@{}@{}-] .(兵庫県):2011/04/09(土) 11:41:40.66 ID:8FXKLVxOP おいおいおいおい 手前の建物は海抜20M以上の高台にあるやつじゃん 60:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/04/09(土) 12:07:55.15 ID:yRh6

    【津波】存在しないと思われた女川町の津波動画がアップされる : 暇人\(^o^)/速報
  • 此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。 東日巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」 州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛) 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。 地

  • 宮城県亘理郡在住『K』の手記 - PADDY - ONE

    コレは私の友人『独楽』氏に送られて来た彼の友人の手記です 以下独楽氏の文面途中からそのまま転載します 届いたメールを公開しようと思う。 このポスト内で一気に公開します。(文字数制限にひっかかるかな?) 悩んだけど、、彼の意向でもある公開です。 相当な長文ですが、良かったら読んでください。 因みに彼はスポーツインストラクターでありながら、文筆活動もしています。(していました。かな?) 一句一文の表現が大袈裟(K!ゴメンな!)に感じられるかもしれませんが、彼が目の当たりにしている事実を、彼が文体表現として“伝えよう”としているものなのでご理解ください。 別に何かを煽るつもりは毛頭ありません。 余震、計画停電、原発に振りまわされつつも、何とか震災以前の生活リズムを取り戻しつつある関東以西ですが、これを読んだ方が何かを感じてもらえたら嬉しい。 以下、友人Kからのメールです。

  • YouTube - 110311_TUNAMI.avi

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  • 宮城・牡鹿半島の浜に1000遺体 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    11日午後発生した東日巨大地震による避難者は14日午前0時現在で、宮城県で約15万人、福島県で約13万人など、計約53万人にのぼることが、政府のまとめでわかった。 このほか、津波による浸水で高台で孤立したまま救助を待っている人は約9600人にのぼる。自衛隊は被災地で救助に当たる隊員を6万6000人に拡大し、米艦艇と連携し救援物資を運ぶなど、救助・支援活動を続けている。 警察庁のまとめでは、14日午前8時現在、死者は、宮城県で643人、岩手県で502人など、計1598人。行方不明者は1720人、負傷者は1923人にのぼっている。宮城県の災害対策部会議では、津波に襲われた南三陸町で「遺体が1000体ほど見つかった」との情報が報告された。同県警によると、石巻市の牡鹿半島の浜でも1000体前後の遺体が見つかったという。死者数はさらに膨らむ見通し。

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